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コラム

知財風土記

第31回 
「唐津」

 9月の初旬、 有田、伊万里と陶芸の道をたどる旅をし、唐津にたどり着いた。古来、空海など遣唐使が出港する基地であり、秀吉の朝鮮出兵でも兵士がここから送り出されている。大陸に向かう好位置にあるため、唐津は文化交流の起点になる地の利を占めていた。
 朝鮮出兵の後、多くの陶工が日本に連れてこられ、陶磁器生産の技術を伝えた。瀬戸物という言葉が陶磁器を意味するように、唐津が陶磁器一般をさす地方もある。唐津とともに、陶芸の技術は有田や伊万里にも及んだ。その地の支配者によって生産は保護され、採取可能な原料の土に応じて磁器に近い有田焼から、素朴な土の味わいを残す唐津焼まで、土着の過程で変種も生まれている。鍋島藩が保護した有田の鍋島焼は有名で、皿役所と呼ばれる部署が職人の育成にあたり、技術の外部への流失を怖れて製造の場に他人が入れないよう、隔離していた。有田は日本で最初に磁器を生産したところといわれるが、やがて19世紀に瀬戸の職人が潜入して技術を持ち出してから、そのお株を奪うようになった。
傾斜地を利用した登り窯  市内随所の70ほどあるという窯元では今も生産と販売が行われており、いくつかを見て回った。中里太郎右衛門陶房は、唐津藩御用窯を江戸期以来何代も続け、藩主への献上品を作った伝統を残している。唐津特有の素朴な古い絵付けをあえてなぞるようなことと並んで、現代の作陶デザインに挑戦する試みもされている。伝承と創造が同時並行で進んでいるのだ。近くにある見学の可能な登り窯を一つ見た。起伏のある斜面を利用し連続する窯が傾斜して連なっている。こうした窯の設置法も朝鮮由来なのだろう。朝鮮唐津と呼ばれる絵付けの鮮やかな椀を土産に買った。唐津の名品は、再建された唐津城内にも展示がある。
辰野金吾記念館になっている旧唐津銀行  一方で唐津からは、日本の近代化を助けた多くの人材が出ている。高橋是清も明治4年、当時の知事の招きで英語教師として招かれ、そこからまた多くの人材が育った。建築家辰野金吾はその代表で、唐津藩士の家に生まれ、英語を身に着けた後、官費留学生としてロンドン大学で建築構造学を学んでいる。東京駅や日本銀行本館などの設計でよく知られているが、唐津にはその辰野の弟子で、建築家の田中実が辰野の監修のもとに設計した旧唐津銀行が残され、辰野金吾記念館になっている。赤レンガの外観は、どこか東京駅を思わせるものだ。
 唐津が明治以降発展するには、石炭産業が興り、唐津炭田の石炭を輸出する貿易拠点となったことが大きい。輸送手段の道路や鉄道、港湾施設などの産業基盤を整備し、近代化を進めていく。
 高取伊好は慶應義塾に学び工部省に採用された鉱山技師で、高島炭鉱で働くなどしたのち、独立して炭鉱事業を進め、巨万の富を得た。その高取の唐津市内にある旧邸宅は、居室と広間の大きな2棟の建物に能舞台まで備え、現在は国の重要文化財になっている。
 唐津のあちこちを回りながら、この地に積もる歴史の厚みを思った。
 (2023.10)

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